泣かない女はいない
長嶋 有
長嶋有さんの『泣かない女はいない』を読了。
このタイトルは、この小説にでてくる人物、樋川さんがボブ・マーリーの『No woman no cry』を無理やり訳した時のセリフ。
長嶋有さんの小説は好きで全部読んでいるのだが、今回のもよかったな。彼の小説は事件らしい事件が、全くといっていいほど起こらない。日常の些細な事柄に対する登場人物の機微が、時に切なく、時に滑稽に淡々と綴られてゆく。重い小説か、軽い小説か、どちらかと言えば軽い小説。リズムよくスラッと読めてしまうのがいい。けれど、スラッと読めてしまうわりに読後感は不思議と重い。
なんだろう?言葉にするのは難しいが、読み終わったあとに心に何かが引っ掛かる感覚がある。切ないというほど切ないものではなく、悲しいというほど悲しいものでもない。けれど確かに心臓の端っこのあたりがチクリと疼く。長嶋有さんの小説を読み終わるといつも僕はそんな感覚におそわれる。それは、生きるということの何かに、微かに触れたような気がするからかもしれない。切ないというほど切ないものでもなく、悲しいというほど悲しいものでもなく、苦しいというほど苦しくもなく、楽しいというほど楽しくもなく、何かを期待するほど何かが起こるわけでもなく、コマ切れすることなく続いてゆく毎日。そんな、さして何も起こらない在り来たりな日常を、その日常の微かな変化を、長嶋有さんは巧みに描いてみせる。そこがなんとも言えずよい。
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世界は目まぐるしく動いているというのに、日本に住む僕達の日常は呆れ返るほど何も起こらない。けれど世界を目まぐるしく動かしているのが僕達自身であることも、僕達はなんとなくではあるが自覚している。何処に向かっているのか、行く先さえ掴めない今にも崩れ落ちそうな脆い世界。そんな世界に住む僕らの日常の呆れ返るほどの平穏。僕達は砂のお城の上に腰掛けていることすら、気付かないまま年をかさねてゆくのかも知れない。ほんとうのところ、一番滑稽なのが僕達自身であることにすら気付かないままに・・・。