うちの猫もばてる熱波襲う昼下がり↓
兵庫県立美術館へ『アルベルト・ジャコメッティ展』を観に行って参りました。
☆兵庫県立美術館のサイトはコチラ↓
http://www.artm.pref.hyogo.jp/home1.html
十代〜二十代にかけての初期の油彩にはじまり、(図版で見たものと違い、実物は発色が非常に奇麗ですばらしかったです!弟ディエゴの肖像画『スタンパの居間に立つディエゴ』のディエゴの着ているスーツの臙脂色に、父親の肖像画『作家の父』の背景のみずいろの美しさは、ジャコメッティの油彩画のイメージが、後期のグレーを基調とした暗めの色彩にあった僕にとってかなりの衝撃でした。)
シュルレアリストとして名声を得た頃の作品群、
そしてシュルレアリスム的作品から離れ、ジャコメッティ独自の地位を美術史に築いたといえる、ひょろ長い、肉をそぎ落としたかのように見える人体彫刻群、(見ているだけで、彫刻そのものの重みを感じられる、彫刻自体の存在感に
僕の
やわなハートは鷲掴みっ!
されまくりでありました。本などの平面図版と違い、立体的に見れ、しかも、指の跡が生々しく残る彫刻の裏面のマチエールが見れたのはまさに至福の極みです!)
”見えるものを見えるままに描く”といった哲学的行為に突き動かされて描き続けた油彩&ドローイングの数々…(なかには新聞や紙ナプキンに走り書きしたドイローイングも。)と非常に興味深い内容でした!
とくに1956年〜61年の間に数回モデルを務めた日本人哲学者、ヤナイハラ氏を描いた油彩・彫刻・ドローイングには、ジャコメッティとヤナイハラ氏の芸術家とモデルとしての緊張関係が、尋常ではなかったことがグレーを基調とした静謐な画面全体から感じられて、非常に素晴らしかったです。
ジャコメッティのモデルを務めるのは大変だったらしく、長ければ朝っぱらから深夜にわたるまで、ヤナイハラ氏は同じポ−ズをとり続けることもあったらしいです。
絵筆を握っているジャコメッティが熱に浮かされたように筆を走らせたことは想像にがたくないですが、”物”としての存在を強いられ、延々同じポ−ズをとり続けたヤナイハラ氏の思考は一体どのようなものだったのだろうか?と考えてしまいました。
ジャコメッティの妻アネットや、弟のディエゴもモデルを務めていましたが、彼等は2〜3時間で苦痛を訴えたらしいです。しかし、ヤナイハラ氏はそのような訴えをせず、相対するジャコメッティの眼光と対等に渡り合いました。これは明らかに友情以上の絆、彼等の思想なり、哲学が同じ方向を向いていたからこそ、できたことなのでしょう。そしてそのヤナイハラ氏の”物”に徹し続けた強固な意思にジャコメッティは、”見えるもの、その存在そのもの”を描くという行為で答えようとしました。この二人の関係って…なにか夫婦とかそういう制度的なものよりも、スゴイものを感じます。同志愛というか…それ以上の愛情が二人の間にはあったのだと思います。
あと、展示作品の中にはカロリーヌを描いた油彩画も展示されていました。このカロリーヌという人物は、娼婦でありジャコメッティの愛人であった女性です。妻のアネットはジャコメッティの死後、彼の財団を設立するのが願いであり、彼の多くの作品を保存管理していました。おそらくこのカロリーヌの油彩画も彼女が一度保存していたはずで、夫が描いた愛人の絵を妻であるアネットはどのように見て、感じていたのか?ってのも興味を引くところです。(もっとも、アネットは、ジャコメッティに愛人がいようが意に介さない懐の太い女性だったようですが…実際のところはアネット本人にしか分からない感情もあったはずだと思います。また、ヤナイハラ氏とアネットにも微妙な愛情関係があったらしく、ジャコメッティ・ヤナイハラ・アネットと彼等の関係は、ジャコメッティの芸術の上に複雑に絡み合っていたようです。)う〜ん!天才芸術家の愛憎関係って、なんか…
昼ドラみたくてスゲエおもしれえ…!
ってことで、暑いお盆にアルベルト・ジャコメッティ展、館内は涼しいし、天井高いし、彫刻すげえ細いし、昼ドラみたいやし、で最高でありました。
美術館の硝子窓に映り込む真夏の空…夏です!↑
☆A.のジャコメッティに関する過去記事はコチラ↓
http://akirart.blog.bai.ne.jp/?eid=56409