子供の頃は夜が怖くて、障子に揺れる読書灯の影が、奇妙に蠢いて見え、そこにお化けか何かがいるんじゃないか?と感じていた。夜の裏側にはあきらかに僕の知らない何者かがいた。そんな不気味な何かと戦うために、小さな兵隊の人形や、プラモデルの戦車を仲間に引き連れ、僕は何者かに立ち向かおうとした。けれどいつも、その何者かは決して正体を表す事なく、薄暗い部屋を照らす淡い光の影に隠れ、気がつけば僕はいつのまにか朝を迎えているのだ。
友達とか、兄貴とか父親とか、母親とか、だれにも相談しなかったけど、でも確かに子供の頃、夜の裏側には何かがいたのだ…。
大人になって夜が怖くなくなると、暗闇の中にいたはずの何者かは、僕の前から姿をみせなくなった。きっと、幼いころ心の中に見えた何者かは、子供だけに見える幻想世界の住人だったのだろう。
そんな幻想世界の住人に大人になってから出会えるとは思いもしない事だったけれど、映画『ローズ・イン・タイドランド』の中には確かに彼等がいた。少女、ジェライザ・ローズ(ジョルジュ・フェルランド)の無邪気であるが故の残酷な幻想のなかに。
この『ローズ・イン・タイドランド』は明らかに万人受けしない映画(ローズの父親と母親が、ヤク中でトリップしまくってる映像を見て楽しめる人はごく少数だろう…。)であるけれど、空想&妄想癖のある人間にはたまらない映画ではないだろうか。
テリー・ギリアム監督の撮り上げた、甘美で毒っけを含んだ白昼夢のような映像の素晴らしさもさることながら、兎に角、ジョルジュ・フェルランドの演技に終止圧倒される。("シャークハンター”ディキンズ役、ブレンダン・フレッチャーの怪演も見逃せないが。)
撮影当時10歳の若さなのに、時折見せる大人の表情と、あどけない子供の表情を使い分ける巧みさ!とくに、無邪気さが残酷な現実を引き起こすラストでのジョルジュの表情は少女が大人へと、成長してゆくさまをまざまざと刻み付けていて、ほんととんでもない表現力!
こりゃ、ダコタ・ファニングちゃんも、うかうかしてられんな…。と驚嘆せずにはいられなかった。
僕にはこのラストシーンでの出来事は、ローズが空想世界から現実世界へと引き戻され、大人へと成長するためのイニシエーション(通過儀礼)のように思えた。(ただ、ジョルジュの表情には大人へと向かいつつも、何処か少女のままのあどけなさも幾分、垣間見せており、時に残酷で社会と相通じる事のない子供の想像力をひきずったまま、成長してゆく可能性も示唆されていたようにも捉えられる。)
前作『ブラザーズ・グリム』と違い、ギリアム監督が創りたいように撮り上げたことが映像からバシバシ伝わってくる『ローズ・イン・タイドランド』。最初から明らかに興行収入、ヒットを無視しての制作姿勢が、テリー・ギリアム監督の残酷で時に哀しみと皮肉が入り交じった子供のような想像力が、まだまだ枯渇していないことを示した傑作であった。
空想こそが現実で真実
いびつな世界を孤独な少女の空想が凌駕する。
☆幼くして映画業界に入り、成功を収めちゃった人ってのは、アル中&ヤク中になることが多い。ドリュー・バリモア(ETの子役。9歳で酒と麻薬に溺れる…。)しかり、マコーレー・カルキンしかり…。はたして、ジョルジュ・フェルランド嬢はどうなることやら…。ちょっと心配。しかし、ドリュー・バリモアは『チャーリーズ・エンジェル』などヒット作出演で見事な復活を遂げてますし、ジョルジュ・フェルランド嬢も山あり谷ありの人生を歩む可能性は高いような…!?
☆『ローズ・イン・タイドランド』の牧歌的で、どことなく郷愁を帯びたアメリカの片田舎を表現した世界観は画家アンドリュー・ワイエスの『クリスティーナの世界』を参考に造り上げていったらしい。↓
☆『ローズ・イン・タイドランド』日本語版公式サイト↓
http://www.rosein.jp/
☆『ローズ・イン・タイドランド』の原作本。↓
(原作者ミッチ・カリンがテリー・ギリアムの大ファンで、彼にこの小説を送ったことから映画化につながった。)
タイドランド
ミッチ カリン, Mitch Cullin, 金原 瑞人
☆A.の『ブラザーズ・グリム』の感想、過去記事はコチラ↓
http://akirart.blog.bai.ne.jp/?eid=26508