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マルセル・デュシャン

『マルセル・デュシャンと20世紀美術展』が大阪中之島に完成した国立国際美術館の開館(万博記念公園内から移転。)を記念して11月3日から開かれる。
マルセル・デュシャン・・・僕の大好きな芸術家の一人である。現代美術の創始者なんてよくいわれてる人物である。が僕にとってはそんなことはどうでもいい。それよりもデュシャンの生き方が僕は好きだ。ノルマンディーの公証人の息子として生まれ、画家ジャック・ヴィヨンと彫刻家レイモン・デュシャン・ヴィヨンという二人の兄をもつ男。芸術に理解の深い父の援助によって暮らしを立てていた時期もあり、生活のために働くということがほとんどなかった男。(まあ、ようするに芸術家でなければただのダメ男。)芸術に飽きたのか40歳代あたりから、絵筆をおき、チェス・ゲームの研究に没頭していた男。(チェスの腕前はプロ級だったらしい。)が今度はチェスにも飽き始め、周囲には沈黙を押し通し、何も制作をしてないかのような振る舞いをしつつも、実は『(1)落ちる水 (2)照明用ガス、が与えられたとせよ』という名の遺作を20年かけてひっそりと制作していた男。81歳で死去したデュシャンの墓碑銘は、「されど、死ぬのはいつも他人」。彼の墓碑名のように、彼の残した作品もすべて世の中を笑う冗談みたいなものばかり。デュシャンの代表的な作品「泉」は既製品の便器を逆さにして便器の端にR・ムットという架空の人物の署名を入れたもの。(この便器のような、すでに社会に存在する既製品を芸術品と見立て作品にすることを、デュシャンはレディ・メイドと命名した。)この作品をデュシャンがとある展覧会に出品したことにより、芸術界、及び社会は今までの芸術の崇高なイメージ、因習を覆し、新たな芸術の価値、可能性を見い出した。なんて評論家などから大袈裟に言われたりしているが、僕はデュシャンはそこまで深く考えていなかったのではないかと思う。美術館に便器。どう考えても冗談だろう。なんとも笑える話だ。そして、その冗談をまんまとやってのけたデュシャンのパワーと頭脳。実にパンクだ。ありえないことがおもしろいと思える皮肉めいた感覚が、デュシャンのもっとも尊敬に値するところだと僕は思う。なんかかっこよすぎるんだよなあ・・・。晩年にはアメリカ国籍をとったものの生まれはやはり、アンニュイなおフランス人だ。人を小馬鹿にするセンスがほんと図抜けている。なんてったって、彼が死んで40年近くたった今もこうして彼の冗談が美術館に飾られ、いろんな評論家に価値を見い出され、展覧会として開かれ、小難しい芸術として語られているのだから。死んでなおデュシャンはどこかでほくそ笑えんでいることだろう。そして、そのことがなんとも痛快なことだと僕は思う。11月3日からの『マルセル・デュシャンと20世紀美術展』じつに楽しみだ。 

☆2004年11月7日追記。『マルセル・デュシャンと20世紀美術展』の感想をUPしました。記事はコチラ↓
http://akirart.blog.bai.ne.jp/?eid=14035
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